藤原鎌足伝説と鎌足桜
今から千四百年ほど前のこと、矢那の郷に大化の改新で功を成した大織冠藤原鎌足公の祖父猪野長官が住んでいました。長官は五十歳を過ぎても子宝に恵まれなかったため、高倉観音に参篭し子授けを祈願しました。満願百日目に妻が身ごもり、ようやく女の子を授かりました。観音様の霊験によって授かったので子与観(しよかん)と名付けられ娘は大事に育てられました。
しかし、年頃になっても嫁ぎ先がなかなか決まらなかったため、再びご利益を賜りたく観音様に祈願したところ、縁あって常陸国鹿島に嫁ぎ、男の子を授かりました。出産の時、一匹の白狐が産所に現れ、草刈鎌を授け、「この鎌は敵を切るに鋭利、国を治め幸福を得るに良し。命ずるとおりに所持せよ。」と言って、その姿は消えてしまいました。そこで、生まれた子どもに「鎌子」と名付けました。この子が「中臣鎌子」、後の「藤原鎌足公」と伝えられています。
藤原鎌足公が、高倉観音へお礼参拝のため、この地を訪れたとき、持っていた桜の木の「杖」を傍らの土手に挿して旅装束に着替えました。
桜の木の「杖」は、そのまま根付きました。その後、土地の人々は鎌足公に因んで「鎌足桜」と呼ぶようになったとのことです。